みどっこ。

岩手(いわて、Iwate)で一眼レフ、河川、食文化、アウトドアを愛する20代男子の記録。

水のちから。

ここ数ヶ月で目標には近づきつつある。

場所は違えど、走って走って少し景色の変わり目までこられた。

でも、ここからはみんなそれぞれで水をためることにしました。うん。

 

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容器に水がたまっていくイメージで考えてみる。

 

容器に水がたまっていく過程の中で、水の滴る音が変わったことに喜びを隠せなかった。外から音を楽しむことが楽しくなった。

滴る音が変わるのを確認したら、次は…と思案するようになった。うーん、なんだろう。たとえば、水面の高さかな。目で見える形で水面が高くなるのに期待してみたり。

そして、水面は徐々に、かつ順調に高くなっていく。 

 

でも、高くなる水面に対して、あふれないように誰も栓を引き抜かなかったことに、ふとした瞬間、気がつく。

そりゃあそうだ、あふれても誰も損するわけじゃないし。でもどこかでたまっていく水を抜かないといけないとも感じ始めた。

ただ、高さが一定まで来てしまったこの水をどこから抜いていいのか、誰も分からなかった。どうしたらいいのだろう。

  

最初は、数多ある栓のどれを選んだらいいのか、その選び方すら分からなかった。

もしかしてあの栓を抜いたら、一気に抜けてしまうのではないか。そんな不安が頭をよぎる。

だから、よく考えた。一番最適な水量で抜けるところはどこなんだろう。

 

そんな中、1つの特に興味深い方法を見つけた。

今の私にしっくり来るので、試す価値はあるかなって思った。

 

腕につけた、少し湿り気のあるミサンガを外すことにした。

そりゃあ、外から見たら何やってるの、意味あるの、なんて言われた。

外しても、水面の高さが変わるわけじゃないよ。でも一番これがしっくり感じた。だから私は、栓を抜くのではなく、ミサンガを外そうと思った。

 

そして、意を決してそのミサンガを外した。

 

そこで気がついたこと。

それは、少し湿ったミサンガを外しても「密度」は変わらないってこと。

この密度にはすごく思うところがあって、私が水をためている間に感じた大切な要素のひとつ。

 意外と変わらない密度を見ながら、どこか安堵した私がいた。

 

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でも、サッカーのように、上手く連携してパスでつないでいった先にあったものは、キーパーのいない平和なゴールじゃなくて、割と現実的な、キーパーが構えるゴールだったね。

シュートの際、蹴る角度をちょっと意図的に変えてみた。

結果的に水は抜けなかったけれど、でも、なんかすっきりした。

 

 

…あの日外したミサンガをそっと置いて、また容器に水がたまっていくのをそっと見届けよう。うん。